365日10時間稼働を楽にするちょっとしたコツ

【第2話】一生無縁だと思ってたあの場所に行かなければならないなんて…。そして患者になった僕は孤独へと突き進む。

‐前回までのあらすじ‐

順風満帆な人生を送っていたえびちゃん。失敗を認めず、挑戦を恐れて逃げ廻っていた。


そんな時に襲い掛かった失敗という刺客。
後輩指導に敗れ原因不明の病にかかる。


人生をつなぎとめるため僕が向かった先は…

ドキドキ・イヤイヤ初体験

僕が仕事終わりに向かったところ。
それは…心療内科クリニックでした。

クリニックに到着しましたが
スライドドア前で足が固まってしまいました。


『踏み込んだら元の生活には戻れない…』
助けてほしくて駆け込んだのに、診断されるのが怖い自分もいました。
頭の中でグルグル考えが巡ります。
たった2~3分の出来事が永遠の時間に感じました。

これじゃ玄関の前でウロウロする不審者です。職員さんに通報されても困るので、しぶしぶ重たいスライドドアを開けました。

中には3つ掛けソファーが3列並んでいて、3~4人くらいの患者さんが座っていました。

・静かに本を読んでる20代男性
・40-50代の女性
・ご高齢の夫婦

一番端っこの席に座って順番を待ちます。
「34番の方ー診察室にどうぞ」
看護師さんに番号を呼ばれ、コソコソと診察室に入りました。

診察室にはお医者さんが丸椅子に腰かけてました。50代くらい丸メガネをかけた小柄なお医者さんは、終始穏やかな表情で「うん、うん」うなずきながら僕の話を最後まで聞いてくれました。

お医者さんに話したことで、
自分の身に起きたことが少し整理できました。

話を聞き終えたお医者さんは、病名を教えてくれました。
自律神経失調症」だそうで2種類の抗不安薬を処方してもらいました。
お医者さんいわく、抗不安薬の中で一番軽い薬だそうです。

お医者さん

この薬飲んで症状が出なければ仕事してもいいよ

と言われました。

『僕の症状は軽いんだー、わーい!!』
一瞬、納得しかけましたが・・・

『マジで?!!これで軽いん??いやいやいや、動悸とか呼吸困難感とか凄いんすよ?胸の後ろずっと握りつぶされてる感じするし、人前に立つと立ち眩みするし。職場に行くとどんな症状出てるのか不安だし。軽いなんて嘘嘘嘘―(; ・`д・´)』
と口から飛び出しそうになりました。

なんとか言葉を飲み込み、

えびちゃん

ありがとうございました

と言って診察室から出ました。

帰りのスライドドアはもの凄く軽く感じました。

こうして僕は
自律神経失調症という肩書
抗不安薬という武器
をもらってボロボロになりながらも人生を終わらせずに済みました。

結論、世の中は僕を理解してくれない

さて闘病生活が始まったある日、休日の昼間に僕はリビングでコーヒーを飲んでました。


するとキッチンで洗い物をしていた妻が何気なく僕に話しかけます。

妻ちゃん

えびちゃんは、自己チューだよね

えびちゃん

確かに僕はねずみ年だけどそんなネズミ飼ってないよ

妻ちゃん

・・・(白目)

僕には全く自覚が無かった言葉でしたが、
何故かトンデモなく心に突き刺さりました。

ショートしかけた思考回路を必死に立て直し、勇気を振り絞って聞いてみました。

えびちゃん

なんでそう思うの?

妻ちゃん

いつも『オレは相手の事を考えてるよ』みたいな態度とるけど、それってえびちゃんが勝手に相手の気持ちを決めつけてるだけでしょ。相手の気持ちは簡単に分かるもんじゃない。

妻としては
・話し合ってお互いの気持ちを確かめよう
との提案だったのでしょう。

対して僕は、
『妻ちゃんも僕を分かってくれないんだ…』
否定されたと思いこみ、何も答えられません。
そして『一番近い存在の妻にも否定されるんだから、僕は世の中で孤立してるんだな』と思うようになりました。

次第にアパートに居心地の悪さを感じはじめ、理由をつけて帰るのを遅くするようになりました。

理解者登場?相手はまさかの○○○○

この頃の僕は、孤独が怖くて必死に救いを求めました。でも職場にもアパートにも僕の居場所がありません
そんなとき僕がたどり着いたモノ。

それは…

なんと…

まさかの…




パチンコ・スロットでした!

パチ屋に救いを求めたんです。
なんたって機械は裏切りません。
といってもパチ屋デビューはこれよりもはるか昔に遡ります。

僕のデビューはなんと小学校1~2年。親の膝上で羽根物を打ったのがデビュー記憶です。ゲーセンが併設されているパチ屋で、小銭が無くなって親にもらいに行ったときに数分打ったんでしょう。すぐに店員に止められましたけどね。

僕は小学生のころからパチンカスでした。
父も祖父もパチンコが大好きです。
僕にもギャンブラーの遺伝子が刻まれてました。

再覚醒したのは大学時代。
夏休みで実家に帰省中、成人記念で父と近くのパチ屋に行きました(成人記念がパチ屋…)。

さびれた店舗で3000円のパッキンカードを購入し「海物語」を打ちました。運悪く当たらなかったので楽しさは分かりませんでした。むしろその時ヤメれば運が良かったかもしれない…

一人暮らしのアパートに戻った後『一度は大当たりを体験したい!』と僕は近くのパチンコ屋をチャリで探しまくります。

でも割り引き肉を大量に買いこんで、
冷凍保存⇒解凍してちびちび食べてる大学生にお金の余裕なんて一切ありません。

でも…なんとかパチンコが打ちたい…
そんな気持ちが届いたのか、近くのパチ屋に1パチが導入されたんです。
もちろんどハマりしましたよ!

戦歴は長くなるのでダイジェスト(*^^*)

大学時代

・パチンコ「北斗の拳」を打つため、朝5時から1パチの店舗に並ぶ。2万円使って1回も当たらず撃沈
・仕送りまで1週間あるのに全財産(2000円)を握りしめ勝負する。最後の200円で当たって1万2000円になって窮地をしのぐ。
・スロ「ハードボイルド(5号機)」で終日7000枚出してスロットを覚える

大学院時代

・スロ「エウレカ2(個人的神台)」に連日2万ずつバイト代を注ぎ込む
・バイトしまくり貯金も多少あったので負けまくる

就職後

・2日間でスロ「カイジ」で8000枚、スロ「ハーデス」で4800枚出して調子に乗る
・スロ「北斗の拳伝承」に勝ち分突っ込む
・スロ「バジリスク絆」で1日12万負けて「2度と打たない」と誓った翌日、同じ台で5万取り返す

思い返してみると15年以上スロットを続け、自律神経失調症のこの時期が一番行きたい気持ちが爆発してました。


パチ・スロ打ってるときだけは現実世界を忘れてました。そしてパチ・スロとのデートを夢見ることで現実世界もなんとか耐えることができました。

『カラダを薬で騙しながら夢の世界を生きる』
まさに生ける屍でした。

第3話に続く